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戦後の通信回線開放

こんにちは

生活支援員の高桑です。

 

今日は、戦後第一の通信革命についてのお話です。

1970年頃は、一部の大手企業が電話専用回線を使用して

情報交換し、経済活動のスピードと地理的ギャップ7を

克服していました。

国や公共企業体が独占してきた電気通信事業を民営化し経営の

効率化を図ると共に、市場原理を導入し、電気通信サービスの

高度化が、真剣に国家的に検討されてきました。

 

後に電電公社の民営化(NTT)で更なる高度化と世界に

通ずる体制が作り上げられていきます。

 

 

1972年に第一次通信回線の開放で、電話回線をデータ通信に

使用可能になりました。

多くの企業がテレックス(テレタイプ端末を使用し、電話の

ように端末を指定)し通信できるようになりました。

1930年代に確立したテレタイプが企業の最低で必要な

ツールとし1972年で爆発的に普及し活躍しました。

 

必要な消耗品は、①テレタイプ受信紙②鑽孔テープ

③インクリボンです。
それぞれの消耗品は、下記の通りです。

 

①テレタイプ受信紙
外直径127ミリ・紙幅214ミリまたは257ミリ・コア1インチ。
シングルは、上質紙55KG。
2枚以上の複写のニーズが多く、カーボン入り・ノーカーボン

紙の2種類がありますが、コスト高ですが、清潔・便利で

ノーカーボン紙が主力になっていきます。
夢の科学紙=ノーカーボン紙については後日お話します。

 

②鑽孔テープ
テレタイプ端末のメッセージ格納手段として使用しました。
5単位(17.46ミリ幅で、2の5乗の組み合わせが出来ます。

英文はアルファベット26文字などこれを使用します。)
6単位(22.3ミリ幅で、2の6乗の組み合わせが出来ます。

カナは55音ですので日本語はこれを使用します。)

オペレータがタイプしたメッセージを鑽孔テープに格納し、

そのテープを使って回線を最高速度でメ3ッセージ送信します。

当時の電話料金は割高の為の工夫と正しいデータを送る知恵

です。熟練のオペレータは、135WPMタイッピングでした。
更にコスト低減で母音をカットして文字数を減らすもあった

ようです。

 

 

③インクリボン
コットン・ナイロン・シルクの生地にインクを染み込ませた

リボンです。

 

暫くしてファクシミリの台頭と普及で、テレックスは衰退して

行きます。
さらにパソコンの普及通信はE-mailで、ファックスも

主力の座を守れなくなってきました。

 

今やパソコンでほとんどの業務ができるようになりました。
時代の流れ・技術の進歩は驚くほどです。

会社では、コピー・プリンタ・ファックスが一体化した

複合機が当たり前の時代になりましたね。

 

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