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あだ名について
こんにちは
生活支援員の高桑です。
あだ名についてお話したいと思います。
74歳で逝去するまで生涯寺を持たず。粗末な草案に住み。
清貧の中で生けるものへの愛を失わず、子供と戯れ。友と
語り、和歌や漢詩をを読み詠み書に優れた托鉢僧でした。
そんな良寛和尚がすぐ腹を立てる僧侶としても「有名」
でした。 あまり知られていませんよネ。
住まいの傍らにあった大木にちなみ「榎の僧正」と呼ばれ、
それが不服で木を伐採し、切り株が残ったので「きりくい
の僧正」の名が付いたそうです。
怒りは収まらず根を掘り返したところ、跡に池が出来たため
「堀池の僧正」となったとのことです。
我を忘れた高僧の立腹ぶりを周囲は面白がって傍観したに
ちがいないですよネ。
夏目漱石の小説「坊ちゃん」の主人公は人にあだ名を付ける
のを得意にしていますが、彼を溺愛するお手伝いの「清」に、
恨まれるもとだから表立って使わないよう戒められている。
憂さを晴らすものを「あだ名」とするなら、相手に向かって
口にすべきでないとの教えです。
子供の頃、身体的特徴などを蔑視したあだ名で嫌な思いを
した人は少なくありません。
いじめ防止の観点から、名字に「さん」を付ける小学校が
増えているとも聞きます。
あだ名禁止は、人間関係に溝をつくる、教育者が及び腰と
いった声もある。
こんな呼び方をしたら、相手がどんな気持ちになるか。
それを共に考えるのが教育であろうと思います。
あだ名は親しみの表現でもあり、一歩的な悪者にしたく
ないとつくづく思う。
60年も前、戦後の復興にそれぞれの立場で燃えていた時期。
ある中学校に5尺8寸(180㎝)の長身で、日本人離れした
鼻が高く、山高帽に蝶ネクタイのモボ(モダンボーイ)の
先生が赴任してきた。
中学1年のクラスでちょと毛色の違う先生に「あだ名」を
付けようとなったようです。
鼻の穴が大きいので「10円玉」でほぼ決定になった時に、
「息が吸えなくて可哀そう。5円玉にしよう」で最終決定。
多感な中学生は、先生と子弟の間柄だけでなく良き友として
3年間を苦楽を共にし、それぞれが巣立ち、社会で大きく
羽ばたき活躍する人材になったとか。
卒業後20年・30年経ても、帰省時には先生宅に集まり、
笑いの中での近況報告や懐かしの学生時代の話題で盛り上がり
冷や麦を食べながら、青い・赤い冷や麦を見つけたら、神から
のプレゼントとして頑として譲らぬ光景もあったとか。
今や全てを卒業をし、ワクチンの優先接種のお歳になった
皆さまから教えて頂くものは計り知れません。
精神障害や身体障害を持ち、共に厳しい環境を乗り越えて
就労を目指すパスセンターでは、これまでもこれからも「敬い」
の気持ちを大切に学習・訓練をしていきます。
心の支えであり、原点のパスセンターの利用者さんの輝きを
ご覧頂き、応援して下さるよう願っています。